町角に暮らす・ 消えゆくもの

「路地」
2008年4月23日撮影

                             
「路地」
「ネコは遠き夢の果てに」 「ネコは遠き夢の果てに」
2006年11月2日撮影

 大島さんのプレゼント台のところに新しいネコがいる。野良仔ネコである。つい最近まではいつもここで母ネコと一緒にいたようだが、ここ数日は単独である。昼休みに僕が自転車で通りかかると、このところ晴天の日が続くせいだろう、秋物・冬物が見受けられるようになってきたプレゼント台の上の衣類の隙間に身を横たえ、気持ちよさそうにまどろんでいる。昼休みの時間帯に通りかかった僕が毎日のように近づいてデジカメを構えてもさして関心はなさそうであった。
 ところがこの日、水の流れの止まった高瀬川に下りて撮影をしているうちに大島さん宅前まで来てしまった。僕が道幅の狭い道路のむこうのプレゼント台の方を見ると、仔ネコが段ボール箱で遊んでいる。川の中からズームで撮影しようとするとこちらに気づいたようである。仔ネコの視線と同じ高さからカメラを構える僕をじっと見据えたまま微動だにしない。両者互いに視線を相手を固定したまま動かない。息詰まるような沈黙があたりを支配する。撮っても撮ってもこのポーズである。仔ネコにとって僕はよほどめずらしかったのだろうか。それともポーズをとってくれているのだろうか。僕にしてもこんなにしっかりとカメラを見据えるネコを見るのはめずらしいのである。
 それにしても良い面構えをしている。まだほんの仔ネコなのに生まれ持った意思の強そうな瞳がうらやましい。繊細でセンシブルで気弱で図々しい僕としては、憧憬の念を抱きながら毎日横目で見て通りすぎてゆく。 

「有楽町で逢いましょう」
2006年10月11日撮影

 『有楽町で逢いましょう』は『青い山脈』『風になる』とならぶ僕の戦後流行歌ベスト3のひとつである。
 1957年に流行した曲だから当時僕はまだ6歳。翌年の正月には大映で映画化もされ、後々まで繰り返しラジオから流れていたであろうとはいえ、50年近く経過した現在、僕が終わりまでまちがえずに全部歌えるからには、子供心によほど強く刻み込まれたものと思われる。理由はわかる。雨、ビル、ティールーム、ブルース、駅のホーム、デパート、シネマ、ロードショウ…というモダンな(!)単語を散りばめて大人の恋をほのかにしかしせつせつと歌いあげたところに、東京というまだ見ぬ大都会への憧憬をかきたてられたのである。僕の「東京」の原イメージがこうしてできあがった。
 この歌が作られるもととなった有楽町そごうを僕は知らない。マリオンは知っているのにそごうは知らない。三十年くらい前には何度も前を通り過ぎているはずだが、「有楽町で逢いましょう」が有楽町そごうの開店イメージソングであったことまでは意識していなかったのであろうか。だが有楽町そごうも今では存在しないらしい。
 京都駅前にあるこのプラッツ近鉄も2007年の2月には消滅してしまうという。プラッツになる前は近鉄百貨店、さらにその前は丸物百貨店で、ここにエスカレーターが導入されたとき、信じられないことだが学校から体験学習をしに行った記憶がある。授業中にみんなでゾロゾロと出かけ、もの珍しげにエスカレーターに乗って帰っただけであった。僕が小さい頃には丸物百貨店の上階に映画館があったことも記憶の奥底に甘酸っぱく残っている。丸物百貨店から烏丸通りをはさんだ向かい側、つまり僕が今立っているあたりにもかつてステーションキネマという映画館があったから、どうやら京都駅前にも雨とデパートとシネマが都会の大人の恋を彩った時代があったようである。
「有楽町で逢いましょう」
「ハンナとその姉妹」 『ハンナとその姉妹』
2006年5月14日撮影

 映画『ハンナとその姉妹』が僕は気にくわない。ウディ・アレン監督らしく適度に嫌味でインテリ臭く、鼻につく。これは褒め言葉である。ニューヨークの古い建物はそれなりに美しく、ウディ・アレン自身が少しだけ脇にまわったキャスティングも新鮮味があり、ラストのクレジットを仔細にながめると、ユダヤ系の作家ブルース・ジェイ・フリードマンがパーティ・シーンの客の役で出演していることにも驚く。にもかかわらず、この作品から撮影監督が交替したことが気にくわない。後退の交替による作風の変化が気に入らない。『ゴッドファーザー』のゴードン・ウイリスと較べると、『赤い砂漠』のカルロ=ディ・パルマの色調は暖かくソフトで、映画自体の完成度がなまじ高いものだからウディ・アレンが文芸映画に色目を使っているように映る。ほんとうに映っているだけだろうか。そこが気にくわない。 
 『ハンナとその姉妹』のサウンドトラックCDが僕は気に入っている。もともとサウンドトラックアルバムには興味をもたない。にもかかわらずこの映画とコッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』の二枚だけは例外としている。ただしウディ・アレン映画のサントラCDは映画音楽家の書いたスコアを演奏したものではなく、クラシックからジャズ、ポピュラーにまで及ぶ既製曲の寄せ集めである。『マンハッタン』では全曲ジョージ・ガーシュイン、『ラジオデイズ』では戦前戦中戦後にアメリカの家庭のどこにでもあったラジオから流れたであろう、スタンダードナンバーに限定するという徹底ぶりである。
 『ハンナとその姉妹』での使用曲は、ハリー・ジェイムズ、バッハ、カウント・ベイシー、ロイ・エルドリッジ、デレク・スミスと多彩である。ウディ・アレン自身のレコードコレクションの中から選りすぐられた曲たちは趣味が良く、品があって、おまけに楽しい。
 だからといって撮影監督の交代を容認する気はない。 
「久世橋の南・太陽の西」 「久世橋の南・太陽の西」
2005年10月9日撮影

 これはトトロの住む森ではない。南区久世中久世町にある萱嵩V社の北隣の畑と、向こうに見えるのはその北東側の家である。こうしてこの部分だけを切り取ってみるとのどかな光景にみえる。だがこの画像のすぐ左側には広くもない道路があり、道路から左上を見上げると東海道新幹線の高架がそそり立っていて、ひかりやこだまやのぞみが何分かおきにうなりをあげてシュルシュルと走りすぎてゆく。画像の左奥にチラリと見えているように、道路のこちら側には工場や倉庫が立ち並んでいる。だがこの一角にだけは「過去」または「昔日」という時間が流れているような気がする。いや、ほんとうはそうではない。そのような時間はデジカメで切り取ったこの画像の中にだけ流れているにすぎないのである。
 
「安兵衛の水」
2005年7月24日撮影

 荒神橋の近くにある季節料理の店「安兵衛」の岡本店主の挙動をカウンター席から観察していると、彼が水道の蛇口から直接コップに水を入れて飲んでいることに気づく。僕はそれを横目で見ながら、「水道のカルキくさい水がよく飲めるものだ」とすこし不思議に思っていた。ところが、岡本氏がいつか「このへんで井戸水なんはうちだけです」と自負していたことをふと思い出した。安兵衛の水は井戸水だったのである。
 梨木神社は京都御苑の東脇にあり、寺町通りに面した小さな目立たない神社である。僕は梨木神社を知らなかった。ある朝、今は縁を切ってしまった男がカブの荷台に4リットルのペットボトルをくくりつけて持ってきた。関西の銘水百選に数えられる梨木神社の井戸水であるという。さっそく紙コップに一杯入れて飲み干してみた。なるほどこれが甘露というものか。梨木神社の井戸水の蛇口の前に常時数人の行列ができていて、蛇口前の立て札には、「一人5リットルまで」と記されてあるという。
 梨木神社の井戸の水は味わったから、いつか安兵衛の井戸水を飲ませてもらうことにしよう。河原町荒神口下るの安兵衛と、寺町荒神口の梨木神社は直線距離にして約300メートルほどの近さである。僕のみるところ、二つの井戸水はおそらく同じ水脈ではあるまいか。「一脈通ずる」とはこういうことをいうのだろうか。店を終えても家に帰りたくない安兵衛の岡本憲昌店主によれば、梨木神社の水には「ソメイヨシノ」と呼ばれているのだという。また、京都のお茶席などでは梨木神社の水を用いることがあるという。
 以前、京都市の地下世界は巨大な水瓶であるという説をどこかで耳にした記憶がある。真偽のほどは不明だが、京都の町に古くから文化が興ったのにはこうした良質の水の恵みがあるのかもしれない。
「安兵衛の水」
「この角をまがって」 「この角をまがって」
2005年5月28日撮影

 この画像のような情景には心惹かれるものがある。心惹かれる何かがある。これは完璧に「鴨川の空」の圏外。川は高瀬川でも鴨川でもなく、上京区の紙屋川である。
 

未完
「見上げてごらん」
2004年6月20日撮影

 せっぱつまるというのはなかなか楽しいものである。たとえばこのサイト内の僕の文章の執筆。サイトの正式オープン予定の2005年4月が迫って来るにつれだんだん追いつめられ、せっぱつまってくる。一ページにつき最低五コマでスタートという制約を課したため数が多くて苦しいが、もともと文章を生み出すのは好きな方だから、写真横の空白を埋めるのに苦悩したことなどない。学生のときもそうだった。たとえば塔南高校時代。試験が近づいてくるというのに何もしていないという焦りと切迫感にいつも酔いしれた。追いつめられてしまうとなぜか本がドンドン読める。平素だと敬遠してしまうような文学書がスラスラ理解できる。こんなことをしていてはいけないという破滅的快感に引き裂かれるうちに試験前日となる。同じクラスの友人たちが僕のうちへ集まり、徹夜の勉強となる。午前0時あたりまではいちおう勉強をする。真夜中には何をするか。二階の僕の部屋から屋根に上る。
 1956年製作の吉村公三郎監督・山本富士子主演の大映映画『夜の河』に映し出された情景には及ぶべくもないものの、1960年代後半の京都の町家にはまだまだ瓦屋根が多かった。だが夜中に上るからには木屋町筋の京都らしい瓦屋根のつらなりが目的ではない。だいいち暗くて瓦屋根なんか見えない。だから大宇宙を見上げる。シオドア・スタージョン言うところの〈言うに言われぬさびしさ〉に酔いしれる。真夜中の空気が甘いことをご存知だろうか? 
 春や夏だけではない。秋も冬も酔いしれて、真夜中に屋根の上でガサゴソズズズ…と音をたてる。試験のたびにそれを繰り返すものだから、屋根瓦が割れる。生き残った瓦もあちこちがずれてくる。ついに雨漏りがするようになった。
 僕の生まれた家。今はないあの古い家。その屋根瓦だけが葺き替えられて新しかったのは僕たちの功績によるものである。
「見上げてごらん」
「店が消えた」
2005年3月1日撮影

 またひとつ古い店が消えた。つい先日、昼休みに自転車をとめて飲み物を買ったばかりの店。閉ざされたシャッター。貼られた紙には「長年にわたるご愛顧に…。2月10日」とある。僕がささやかな買い物をしたのはたしか2月8日だった。
 子供の頃、自転車で走っていて、クルマと接触したことがある。この店の前だった。そのころは飲み物やパンや菓子ではなく漬け物や乾物を売る食料品店で、老夫婦と若夫婦の四人で切り盛りしていた。
 爺さんが樽の上に載せた浅い桶からヒノナやキュウリの漬け物を取って新聞紙にくるみ、お客に手渡していた姿を思い出す。子供だった僕は誰とも会話したことがない。それでも活気のあった店先を思い出し、二組の夫婦それぞれの顔と声を思い出す。2月8日に僕の応対をしたオバサン、彼女はかつての若夫婦の奥さんの方だったに違いない。カウンター内にもう一人青年がいたのは、おそらく子息だったろう。ご主人の方はかなり昔に亡くなっているはずである。
 かつてはこの店の左隣がパン屋で、右隣は別の老夫婦が営むお菓子屋だったが、両脇の二軒は三十年以上も前に消滅している。生き残っていた一軒がついに消えた。
「店が消えた」
「うる星やつだ」
2004年9月18日撮影

 ぼくの名前は黒猫。
 京都の高瀬川が流れるこのあたり、十禅師町一帯を縄張りとさだめて生きる市井無頼の徒である。長年にわたり近隣の同種同類同業のやつら相手に深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」(1973)ばりの熾烈きわまる抗争をくりかえした結果、ようやくにして、どうにかこうにか勢力の均衡を保ち、いくばくか心の安寧を獲得しうるにいたった昨今である。
 ところがだ。ホッとしたのもつかの間、妙なやつが現れた。
 ぼくが毎日自分の縄張(シマ)うちの見回りをしていたり、その途中で「李さん一家の家」の前でくつろいでいたり、南隣の大島さん宅の前庭で食事をしていたり、ご覧のように〈プレゼント〉のひとつになってみたり(お、けっこうハンサムじゃないか)、ときには哲学的な命題を抱えて思索にふけっていたりすると、いつも紺色のPOLOのキャップをかぶって、フランス製だとかいう茶色の丸っこいセルぶちメガネをかけたオシャレないでたちの男が自転車でやってきやがる。こいつ、ぼくを見つけるときまって背中のリュックからコンタックスのデジカメを取り出し、カシャッと撮りやがるんだ。なんなんだ、おまえ。ぼくのファンなのか。だったら特製肉球装備の足型のサインでもくれてやろうか。こういう礼儀知らずのミーハーの外道はいっそひと突きに…おっとっと、惻隠の情をもって黙殺するというのがぼくのポリシーでモットーで生活信条で座右の銘でもあるわけだから、プイと知らん顔してやるのだけれど、するとこいつ、無視されていると思うらしく、ぼくにむかっておかしな言葉でなれなれしく呼びかけやがるんだ。まったくまったくうるさいったらありゃしない。
 おまえは無頼の掟ってものを知らんのか。あーぁ、ぼくだっていいかげん疲れるぜ。いったいなんなんだよ〜こいつ?
 (『黒猫独白抄』 原文は猫語です)
「うる星やつだ」
「李さん一家の家」
2003年8月29日撮影
  
 つげ義春の作品『李さん一家』には、主人公の青年のほかに、李さん夫妻と二人の子供の一家四人が登場する。
 李さん一家は木造二階建ての古い借家住まいらしいが、じつは京都の高瀬川沿いにも李さん一家宅とそっくりの家がある。ただしこの画像、じつはこの家の裏側。正面はこの反対側にある。つまり木屋町通りの一筋東側の通りに面した町家、その裏側の部分が「李さん一家の家」として僕の目には映っているというわけである。ならば表側にまわってみよう。
 うーむ、どうやらこの家、廃屋のように思える。
 けれど、この家の裏側をじっと見ていると、破れかけたガラス戸が突如ガタピシと開き、つげ義春の『李さん一家』のラストのコマにあるように、今にも一家四人がそろって顔をのぞかせてこちらの方を無表情に見る…ような気がしてならないのは、僕のアタマのネジが微妙に壊れているせいだろうか。
 つげさん。
 つげさんは、どうお思いでしょうか?
「李さん一家の家」


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